茂福城

別名-  付近住所 三重県四日市市茂福町 現在- 
2010/1/11 碑・案内板アリ 日本城郭大系


朝倉下野守盈盛  平維茂の子孫 平貞冬が、越前朝倉よりこの地へ来て城を築き朝倉を名乗った。保々西城の朝倉備前守と同族である。
 永禄10年(1567)にいたり最後の城主 茂福掃部輔盈豊は織田信長の部将 瀧川一益のため長島城へ誘いだされ殺された。
 城主を失った茂福城兵は滝川勢と激しく戦ったが攻め落とされたという。
 瀧川一益は目代として山口氏を置き治めさせた。
 この場所は、城の主郭の北西角に当たります。

     


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